2009年08月08日

原爆資料館

広島、長崎の原爆は、正義でしようか? 焼夷弾100万発なら、問題なかった?
広島、長崎の原爆は、正義でしようか? 焼夷弾100万発なら、問題なかった?http://www.jiji.com/jc/zc?k=200706/2007063000199&rel=yhttp://www.geocities.jp/torikai007/war/1945/hiroshima.html世界初の本格的な戦略爆撃は,1937年8月、日本軍による中国への首都爆撃、都市無差別爆撃である。1940年11月から1943年8月には、中国の首都重慶への長期間の無差別爆撃を実施。米軍の日本本土空襲、原爆投下は、中国本土空襲への報復ともいえる。(続きを読む)

広島、長崎に原爆を落としたアメリカに、(アメリカ大統領に)謝罪をして戴きたい....
広島、長崎に原爆を落としたアメリカに、(アメリカ大統領に)謝罪をして戴きたい。・・・と考える市民です。賛同の人のみ、ご意見下さい。・・・・・反対の人は不要です。今日、昭和3年生まれの、今日、昭和3年生まれ方の、被爆犠牲者の体験談を聞きました。住所は、現広島平和記念公園の地で、旧中島町でした。当日、昭和20年8月6日快晴、午前8;15分は爆心地より、約2Km 離れた、旧広島第2中学で、建物疎開の学徒動員に行っていた。・・・・・・ピッカ、ドーンで、一瞬の間に木造建物の下敷き気を失っていたが、夕刻黒い雨で気が付いた。手と足に怪我をしたが、その夜はそこで過ごし、8月7日家の方へ帰った。家の跡は、焼けて、灰のみとなっていた、周囲には、赤黒く焼け死んだ人が一杯いた。何も無いが、我が家の跡で、横になって寝ていた。8月8日(3日目)、救援に北兵隊さんに、したいと間違われそうになった。・・・死体は野積みのまま、廃材、、廃枕木で広場で荼毘に付下。近くには救援の兵隊さん以外住民は誰も居ない、その方も一瞬で、孤児となった。・・・・当時、記録によると、中島町内には、約4000人〜の住人がいたと記録にはある。広島では一瞬にして、約14万人、長崎は8万人が、悪魔の原子爆弾によって死亡した。今も、後遺症に苦しんでいる人は、14万人とも20万人とも言われ、又、広島では、今も、身元がわからない遺骨が7万体も安置されてます。このような日人道的な原爆を落とした、アメリカに、謝罪を要求したい。広島平和記念公園に謝罪に来て頂きたい。・・・・・・賛同者のご意見をお願いします。(続きを読む)

東京から、広島市へ、平和と原爆と人の心を考える旅をします。
東京から、広島市へ、平和と原爆と人の心を考える旅をします。平和公園に近い宿泊先より、ほぼ丸2日掛けて、原爆ドームは元より、平和記念資料館、祈念碑など、なるべく『ココぞ!』と思われる処を、漏れなく訪れたいと思っています。以前、広島出身で都内に住まわれている方に、「土地柄で小さい頃から『平和、平和』と教育されて、言葉は悪いがウンザリしていた、こっちに来てホッとしている自分がいる」といった心境を告白されました。なので、色々な考え方、捉え方はあると思いますが、初めての広島訪問をフルに活かして勉強したいのです。何処をどう回ったら、無駄なく、くまなく回れるか、オススメがある方、お教え下さい。(順路、訪問先)朝イチで東京から出発して、10時前には広島市内に着いていると思います。翌日は午後3時、4時までステイ出来る予定です。ザッとで良いので、推薦コース、ご教授お願い致します。2日とも平和記念資料館、もアリなのでしょうか?(1日、半日では見切れない??)出来れば翌日のお昼位は、広島焼き、を食べたいです(−−*路面電車は…、早稲田の都電も使っているので、今回は諦めでもいいか、と考えていますが、乗る必要も無い範囲かと予想しているのですが??(続きを読む)


我が家の楽しい子どもたち ... 原爆資料館
解除されたことで、市民は仕事へ学校へと忙しい朝を 迎え、人々が出社、登校、建物疎開中に原爆が投下され、多くの人が 犠牲になりました。 小学校2年生のボーイズが 資料を見ながら このような質問を 次々としてきます。ママ達は きっと ボーイズが ...(続きを読む)

いまだに核兵器を造っている人間がいるなんて!: 『薔薇族』編集長 ...
原爆が投下されて、何十年も草木も育たず人間も住めないと言われたこともあった。それほど放射能は恐ろしいものだった。ものすごい高熱ですべてを破壊し、焼き尽くしてしまったというのに、蛆虫(うじむし・はえなどの幼虫)だけは、死体や軍馬などの死体 ...(続きを読む)

いろいろな夏・・・(photo:草津温泉) - 東京の空の下ほのぼの日記
ついに、再開発が始まったのだ。カメラは昨年の夏から段原の街に入り、1年にわたって街に住む人々の姿や心情を記録してきた。原爆の記憶とともに生きてきた街の最後の姿と、その街を離れざるを得なかった人々のささやかな思いを伝える・・・。 ...(続きを読む)


posted by デン at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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